ルーツヒルズグリルハウス
大砲のレプリカが残る要塞跡
スペイン統治時代、チャモロ族の大反乱に対抗するために建造されたスペイン軍の要塞跡。太平洋戦争時には日本軍が砲床として使用していたこともあり、大砲のレプリカが3基設置されています。高台にありハガニアの街と海が見渡せます。
スペイン統治時代から太平洋戦争…各時代の名残を見せるアプガン砦
スペイン広場の裏手、ラッテストーン公園を越えて坂道を上っていくと在る、小高い丘に築かれた砦。
アプガン砦と呼ばれることが多いですが、正式名称は「サンタ・アグエダ砦」。1800年に当時のスペイン総督マニュエル・ロムが妻の名(ドナ・アグエダ・デル・カミーノ)からとって名付けたそう。
この砦にある看板には、1800年にマニュエル・ロムが自ら築いたと書いてありますが、1671年にチャモロ人の大反乱に対抗するために建造されたとも言われています。
ちょうど1668年から1695年の間は、キリスト教やヨーロッパ文明をマリアナ諸島で確立させようとするスペイン人と原住民のチャモロ人の間で戦争が勃発していた時期なので、1671年説が有力なよう。1669年には、グアムで初のカトリック教会『ハガニア大聖堂バシリカ』が建てられ、ハガニアの街はすでに首都でした。スペイン人や宣教師の拠点になっていたのでしょう。
ただ、この砦の下のスペイン広場にスペイン総督邸があったのは1736年~1898年と言われているので、1800年に総督邸に住んでいたマニュエル・ロムが裏手の丘から攻め入られるのを防ぐために建設したとも考えられます。
この砦は、時代の移り変わりと共に、使われ方も変わっていたようで、1671年に建てられた砦を、1800年にマニュエル・ロムが再建築したのかもしれません。
しかし、19世紀後半には、すっかり要塞としての役目はなくなり無用の長物となっていたため、スペイン人は軍用倉庫として使用していたそうです。
この大砲はメキシコで作られたレプリカだそう。
コンクリートの階段や手すりが設けられ、展望台としても人気のスポットに。
19世紀の終わりに、グアムがアメリカ領になってからは、海軍の通信拠点として活用され、しばらくして海軍の公園に整備されたそう。第二次世界大戦が勃発すると、次は日本軍に占拠され、砲床として使われます。戦後は平和公園として整備され、多くの観光客がこの地に訪れるようになりました。
スペイン統治時代から第二次世界大戦と歴史を刻み、今なお名残を感じさせるアプガン砦で、その時代の人たちがどんな景色を望んできたのか思いを馳せてみてはいかがでしょう。
基本情報
住所 |
183 Francisco Javier Drive, Agana, Guam |
営業時間 |
終日開放 |
休業日 |
無休 |
Wi-Fi |
なし |
送迎サービス |
なし |
アクセス |
【車】 |